佐賀屋呉服店|佐賀屋の歴史

創業119年
きもの
sagaya_kimono
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ご挨拶

日頃は、きもの佐賀屋にご愛顧を賜りまして誠にありがとうございます。
心より厚く御礼申し上げます。
弊社は、初代陶山森太郎(すやまもりたろう)が創業し、今年で119年目を迎えます。
森太郎は、創業にあたり故郷(鳥栖市幸津町)の田畑を売り、最初は荒物雑貨屋を開きました。
その後、念願の太物屋を持ちましたが、二代目.三代目と「不易流行」を礎に、百年以上の歩みを経て、現在に至っております。
きものは「日本の文化」でありますが、昨今では多国籍のお客様がご来店され、また時代と共にIT化等、様々な変化が訪れております。
これからも「時流適応」を念頭に、揺るぎない気持ちで新しい時代を、お客様の満足と共に迎えたいと思っております。
今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。
 

きもの佐賀屋
四代目店主
陶山和之(すやまかずゆき)

日頃は、きもの佐賀屋にご愛顧を賜りまして誠にありがとうございます。
心より厚く御礼申し上げます。
弊社は、初代陶山森太郎(すやまもりたろう)が創業し、今年で119年目を迎えます。
森太郎は、創業にあたり故郷(鳥栖市幸津町)の田畑を売り、最初は荒物雑貨屋を開きました。
その後、念願の太物屋を持ちましたが、二代目.三代目と「不易流行」を礎に、百年以上の歩みを経て、現在に至っております。
きものは「日本の文化」でありますが、昨今では多国籍のお客様がご来店され、また時代と共にIT化等、様々な変化が訪れております。
これからも「時流適応」を念頭に、揺るぎない気持ちで新しい時代を、お客様の満足と共に迎えたいと思っております。
今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。
 

きもの佐賀屋
四代目店主
陶山和之(すやまかずゆき)

建物の歴史

この建物は1845年(弘化2年)に建築されたと柱に記されており、長崎街道の田代宿から轟木宿の間に位置します。
当時、この長崎街道は小倉から長崎間57里(228km)を25ヶ所の宿場で結んでいました。
鎖国体制の中で、幕府の唯一の貿易港であった長崎には、海外から人物・知識・文化が入り現在ではこの長崎街道をシュガーロードと呼んでいます。
また、伊能忠敬やシーボルト他歴史上の人物も数多くこの前を通っています。
 
建物から約500mほど西側に位置する轟木川を境に西は轟宿(佐賀藩領)、東は田代宿(対馬藩領)に分かれており、轟木川は対馬藩では西郷川、佐賀藩では番所川と呼ばれていました。(現在の鳥栖小学校のところ)川の西岸の轟木宿の入口には旅人の荷を改める藩の番所もありました。
そこには二重鎖国体制を取っていた佐賀藩は、番所に侍1人と足軽9人を置いて、出入りする旅人を厳しくチェックしていました。
幕府は貿易統制を行っていて、密貿易を警戒し、福岡藩と佐賀藩に交代で長崎警備を命じ、轟木宿の番所の荷改めは密貿易対策の役割も果たしていたのです。

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